第17回例会

 すでにお話のとおり、管理人は大阪で働いているので、無名戦士の例会報告は、会員さんから送られてきた対戦レポートを掲載する形式に変わります。


 とまあ、それでは味気ないのも事実なので、私の近況はと言うと、ええ、戸惑っておりますよ。「大阪」という環境に。まあ、簡単に言えば、電車のマナーが悪い、電車のマナーが悪い、電車のマナーが悪い、ろくな山がない。ということに尽きますが、いいところもあります。それは、たこ焼きが美味い!感動するほど美味い!とにかくたいていのものが美味い!あとは、可愛い娘の関西弁(含む:京都/神戸)は、身悶えするほど耳ざわりがヨロシいうことで、関東の奥座敷からキタネェ標準語引っさげてガムバッても仕方がないので、早くこっちの言葉に慣れる為にも、気の利いた彼女作んなきゃアキマヘンなぁとぼやきつつ、部屋でユニット切っている週末でおま。


4月12日(土)では、以下の対戦が行われた模様。

高梨氏vs.渡瀬氏 『The Sun of Austerlitz』

片山氏vs.新井氏 GMT『Barbarossa to Berlin』

栗原氏vs.神村氏 CM『大西洋の戦い』

善如寺氏vs.遠田氏 GJ『Fighting General PattonのRtS』

入江氏vs.久野御大、大森氏 GMT『Von Manstein's Backhand Blow』

金井氏vs.渕上氏 『Thunder at Lutzen』

山岸氏、神村氏、渡会氏、善如寺氏、また氏でGJ『五虎三国志』

栗原氏vs.遠田氏  GJ『激闘マンシュタイン軍集団』

高梨氏vs.渡瀬氏でタクテクス付録のナポレオン物

設楽氏vs.遠田氏 CM#41『Royal Navy』 設楽氏の海戦講座

このうち、レポートが集まっているものについて報告ですので、順序なども前後しますが、よろしく哀愁。


 ということで、実質的に無名戦士の会長職の禅譲を受けた遠田氏から

1.GJ『Fighting General PattonのRtS』

米軍:えんだ 独軍:善如寺氏

 善如寺氏との本格ゲームとしてはこれが初めてじゃあないでしょうか?
 バルジの正念場。バストーニュを包囲し、これを殲滅しようとする独軍(善)と、パットンズ・ベストを北上させ、独軍の包囲からバストーニュを解放しようとする米軍(え)の戦いです。どちらの陣営も攻撃と防御ができるので、飽きのこないシチュエーションとなっています。
 セットアップ:順番としては、1.米軍被包囲化のバストーニュ守備隊、2.独軍約5個師団相当のフリーセットアップである。第1ターンにマップ南面3箇所から米軍の2個機甲師団と1個歩兵師団が北上するとあって、善如寺氏、相当悪戦苦闘していたようである。 結局、南面防御は歩兵2個師団(西部の平野部:第26歩兵師団、東部森林地帯:第5降下猟兵師団)とし、バストーニュ包囲に装甲教導師団の一部を含む装甲部隊を全配置。早期のバストーニュ陥落を狙っているようである。このゲームは、機械化部隊が攻撃・強行軍を行うと補給欠乏の意味で消耗(裏面の約半減戦力)してしまう。しかし、これはターン開始時にある補給フェイズで補給ポイントを消費し完全戦力面に戻すことができる。1944年も後半の戦いであり、物量に関しては圧倒的に米軍に分が有る。そのため毎ターンの補給ポイントは、米軍平均8に対して独軍は3、つまり毎ターン全力で攻勢をかけられる機械化ユニットが米軍8枚に対して独軍は3枚となっている。このルールが、独軍の攻撃を大きく制限してしまうのだろう。



 さて、ゲーム開始。 第1ターン:パットンは南面西の平野部に2個機甲師団を集中投入し、何とかとバストーニュに補給線開通作戦で勝負に出る。米機甲師団は第26歩兵師団を次々と包囲殲滅し、独軍は部隊を下げ戦線の再構築を実施。これに対し、独軍もバストーニュ北部地帯へ攻撃を集中し包囲環を一気に1へクス縮める。
 第2ターン:第1ターンと略同様の展開となり、南面の第26歩兵師団は半数を失う。バストーニュ包囲環も着実に小さくなっていく。第3ターン:独軍は例の補給欠乏(3枚しか機械化部隊は表に復活しない)もあいまってバストーニュ包囲の攻撃は1ヶ所にとどめる。機械化部隊の毎ターンの攻勢は持続できないのだ! 対する米軍は、北上するパットンズ・ベストおよび、101空挺の共同攻撃によって、ついにバストーニュの解囲に成功する。さらに101空挺の北面も消耗面の装甲教導団の2個連隊連帯に反撃(甘反撃??)し、これを見事撃破。バストーニュ早期の補給到達と教導師団2個連隊除去に独軍投了でゲーム終了となった。
 私も初プレイだったが、独軍は初期のセットアップ(フリー)が非常に重要であるのではないか?米軍のパットンズベストはそれを見て攻勢方向を考えればよいので、独軍のほうがストレスを感じたはずである。補給ポイントのルールについてもしかり!であろう。 余談ではあるが、このプレイを見に来ていた渕上氏も「この前、独軍やって大負けしたんですよ」と言っていた。


 続いて、同じく遠田氏より「激闘!マンシュタイン軍集団」の対戦レポを。

2.GJ「激闘!マンシュタイン軍集団」 ソ連軍:えんだ  独軍:栗原氏

 あと3時間足らずで例会のタイムアップというところでのスタート
 お互いの チュートリアルっぽい対戦だったので、レポートは簡単に。ゲームは、ソ連軍のスターリングラード包囲から第3次ハリコフ線までと、結構大きなスケール。システムは、両軍の軍単位のチットを引き、その軍のみがアクティブになって移動・戦闘を行うことができるというシンプルなもの。チットの中には、ソ連軍の全軍団をアクティブにするSTAVKAチット、独軍は任意の1個軍をアクティブにするMANSTEINチットが含まれる。プレイは第1装甲軍が登場する前の4ターンでタイムアップ投了となったが、独軍の装甲師団をばらまきながら前進防御を徹底する栗原独軍に、ソ連軍は思うような進撃をすることができず、中央集団(1GA、3GA基幹)はMILLEROVO、南方集団(2GA、5TA 基幹)はドネツ川手前までしか進撃できなかった。ソ連もかなりの敵軍を撃破したが、増援を次々と戦線構築に使われてしまった。


激突!マンシュタイン軍集団 セットアップ


 ルールの感想としては、大河川・小河川とも同一の防御効果(攻撃側半減)とZOC進入・退出の+2移動力に常に悩まされた。ソ連歩兵は、3へクス先の敵軍には隣接することすらできないのである。かなりのへっぽこソ連を演じてしまった。うーん、研究してからまたプレイしたいと思う。なお、神村氏と栗原氏の「大西洋の戦い」はルール確認プレイだったとのことでした。 最近、ちょっと南北戦争に興味が湧いてきている遠田である。次の例会では「ハウスデバイテット」「CMゲティスバーグ」「For the People」な んかやってみたいなあ。


投了時


 では、続いて善如時選手の報告。彼は、自作パソコンと腐れコミック収集に血道をあけるサブカル廃人です。


 『五虎三国志』

曹操・・・先生
袁紹・・・片野
孫権・・・山岸
劉表・・・神村
劉備・・・善如寺

 以前GJで発売される前にテストプレイしたこともある五虎三国志。5人のメンバーが集まったということで山岸さんのレクチャーで5人用のシナリオでプレイ。まずは曹操が献帝の御威光を利用して、劉備と不戦協定を結び南方の安全を確保した上、宿敵・袁紹に襲い掛かる。やはり序盤にダイナミックな動きができるのは一番国力のある曹操で、ゲームも自然と曹操の動きがメインになってくる。その争いも曹操プレイヤーが北狄の協力を取り付け、袁紹勢力は挟み撃ちとなり急速に力を失っていく。だが袁紹も猛将・呂布を手に入れ、曹操へ反撃をおこなうかと思われた。そんな華北の重要都市「ぎょう」をめぐる2強の争いの中、荊州で着々と力をつけ洛陽を手に入れていた劉表の "プレイヤー"が袁紹をたきつけて曹操をつぶすように示唆する発言。それが曹操"プレイヤー"の逆鱗に触れた(この辺がマルチの醍醐味か(笑)。プレイヤーの人間関係を反映する)


GJ6号 五虎三国志


 曹操は不戦協定を袁紹と結び、荊州侵略を宣言!呂布を手に入れていた袁紹も献帝の御威光には逆らえず、曹操に攻め込めないとなると攻め込む先はただ一つ南西に道の開いている劉表支配の洛陽へ。劉表はプレイヤーの失言から大ピンチを迎えた。2強に攻め込まれ、弱体化していく劉表。そんななか裏切りの将・呂布はその主人を袁紹から曹操へと変える。ますます勢い付くかと思われた曹操だが、攻撃の主力を任せていた呂布の裏切り(!)にあい、侵略の拠点を失う。今度、呂布が主人に選んだのは、いままで孫権との小競り合い程度でなりを潜めていた劉備だった。しかしその呂布も曹操本陣に攻め込んで玉砕。最後は孫権に暗殺されるという最後を遂げた。それぞれのプレイヤーが決定力を欠き、ほぼ初期の勢力分布に戻したところで時間切れ、終了となった。そこそこの動きはあったものの防御型のプレイヤーばかりだと動きが少なくなってしまい、3すくみ状態ならぬ5すくみ状態に陥ってしまいがち。イベントも天命表では起こりにくい、武将も少ないのだしマルチミニゲームとしてはもっと動きが出るようにしてもいいかもしれません。どこかの君主が死んだりすると一気に情勢が変わるのですが、なかなかそんなことも起こらないし・・・。ターン制限や、君主に寿命なんかあったりすると動きが活発になるんじゃないでしょうか?


さすが「英雄三国志(HJ)」→「三国志演義(エポック)」(順序が逆だが)で、鍛えぬかれた三国志魔人ども。その後は、コマンド49号の第2付録だったはずなのに、タイミングからか被プレイ率がやたら高いと報告されている『BACK TO IRAQ』のレポート。


第二次湾岸戦争〜BACK TO IRAQ

  イラク側・・・山岸
 多国籍軍側・・・善如寺

 2003年4月12日現在、現実のイラク戦争は多国籍軍でなく米英軍がイラクに侵攻、バグダッドを制圧しております。妙にタイムリーなのが天邪鬼な私には気に入らなかったのですが、ちょっと変わった面白そうなルールに惹かれプレイすることと相成りました。 その変わったルールとはどういうことかというと、一番には戦力的には明らかに劣るイラク側が何を持って勝利とするかという勝利条件です。イラク側としては勝てないのは百も承知、よって戦闘での勝利よりもこの戦争自体への "国際世論(またはイスラム圏、中東諸国)の反発"を稼いでいくことが目的となります。まさに現在のイラクの戦争の仕方、情報戦での勝利をねらうのです。よって勝利ポイントの取得方法は、簡単にまとめると1.戦闘に生き残ること、2.多国籍軍に都市を攻撃させること、3.多国籍軍に被害をあたえること、です。つまり、この戦争が無駄に終わり、民間や多国籍軍に被害が出ることをアピールするということです(と僕は思ってます)。またイラク側がクウェートを支配するとサドンデス勝利となります。プレイのほうはというとまず多国籍軍の状況としては一番有利なサウジアラビアとトルコの協力を得ている状態。トルコは派兵もしています。それぞれ、指定範囲に自由配置のためイラク軍は各大都市、小都市に舞台を配置。多国籍軍側は、指定のあるトルコ軍、スンニ・ムスリムユニット以外はクウェートに配置しました。第1ターンから多国籍軍はクウェートを離れイラクに侵攻、守りを固めるイラク側を巨大な力と機動力で各個撃破して早々にバスラを支配してしまいますが、その後は周辺の地形とイラク軍に阻まれ先に進むことができません。しかし確実にイラク軍を撃破し、バグダッドへの道を開きかけたそのとき、イラン軍が介入!大量の部隊がクウェートへ向かい進軍をはじめました。 クウェートを取られるとサドンデスでイラク側の勝利が決定してしまうため、多国籍軍は急いで取って返しクウェートの守備につきます。防戦となるとその戦力を発揮しきれない多国籍軍に対し、イラク側は戦闘に着実に生き残りポイントを取得していきます。しかし、ゾックがないイラン・イラク軍の隙間を抜け、徐々に部隊を撃滅していく多国籍軍。そしてイラン・イラク軍が反撃の力を失いかけたとき時間切れ終了となりました。感想としてはイラクはもっとクウェートを狙って圧力をかけてもよかったのかなと思います。多国籍軍は防御側に回れば戦力は分散されるので生き残る可能性は増しますし・・・。今回は選択ルールをまったく使用しなかったので、使用すればかなりバラエティのあるゲームとなり楽しめると思います。


「イラクの自由」作戦だってさ


【ロンドン20日共同】イラク国立博物館からメソポタミア文明などの所蔵品が略奪された問題で、英日曜紙オブザーバーは20日、米国の復興人道援助室(ORHA)が先月26日に米軍上層部に対し、博物館の略奪防止のため制圧直後に対応を取るよう正式に文書で勧告していたが無視されたと報じた。 同紙によると、ORHAのガーナー室長は「かんかんになって怒っている」といわれる。 同紙が入手した文書には、優先度の高い順に保護すべき16カ所が列挙され、国立博物館は中央銀行に次いで2番目にランクされている。米軍がいち早く保護態勢を敷いた石油省ビルは末尾の16番目に記載されていた。 ORHAの当局者は「少数の兵士と必要なら戦車1、2両の配置を依頼しただけだったのに、軍幹部に拒否され続けた」と話している。(共同通信)


バグダッド市街を巡る攻防戦で、米軍特殊部隊1個分隊が、国立博物館を暴徒の襲撃から守ると言う戦術級はどうだろうか。現代戦の新機軸かも。メモメモ。次は渡瀬君と高梨さんの対戦を、渡瀬君のレポートで。


 『The Sun of Austerlitz(AD)』は三皇会戦と呼ばれる、フランスとロシア、オーストリアのアウステルリッツの戦いをA2マップで再現したものです。毎ターン、決められた数だけの命令チットを入れ、チット引きで軍団を動かすシステムで、どの軍団を動かすか、どのタイミングで動くかなど、お手軽ながら、なかなか頭を悩ます好ゲーム。今回はフランス軍高梨、ロシア、オーストリア軍を渡瀬でプレイしました。
 序盤、初プレイのロシア、オーストリア軍担当は史実でブラッツェン高地を放棄し、攻め込んだ所で痛打された事を考慮し、高地確保、全体的に右翼へ戦力をスライドし、戦線を膠着させるという方針をとります。一方、フランス軍は最初に敵右翼のコンスタンツィン、バグラチオンの繋ぎであるリヒテンシュタインを集中的に攻撃。リヒテンシュタインはユニット数が少なく、命令チットを与えていなかったのであわや寸断という状態が発生。


アウステルリツの太陽


 それに対し、ロシア、オーストリアはリヒテンシュタイン、コンツタンツィン、バグラチオン、クトゥーゾフをスライドし何とか守りを固めますが、チットの出が悪く、全てが移動した後にミュラーの連続突撃を受け、さらに戦線を後退。この時から既に全体的に戦力をスライド、と言うことが不可能になり(命令数制限により右翼の対応で手一杯)防戦一方になります。
 中盤、フランス軍に決定的チャンスが訪れます。右翼の戦線が崩れ始め、バグラチオンが取り残され気味なのを見て、ナポレオン命令(ゲーム中2回だけ使用可能でどの軍団でも動かせる)2枚をつぎ込み、バグラチオン殲滅を狙いますが、ロシア奇跡のチット引きでバグラチオンはまんまと逃走。何とか戦線を保つことに成功します。
 終盤以降もフランス軍は怒濤の攻めで、8、9ターンに戦線が一気に崩れゲーム終了を迎えます。この時既にロシア、オーストリアの右翼3個軍団は壊滅しかかっていましたが何とか条件的には引き分けを確保。
 やはり、最初にロシア、オーストリアは左翼から攻勢をかけねばならないようです。そうしないと対応するだけで手一杯になってしまいますね。さらに時間が2時間程度余ったので「マレンゴ(HJ/SPI)」をフランス軍渡瀬、オーストリア軍高梨でプレイしました。序盤のオーストリアの大攻勢により多くのフランス軍が壊滅し、オーストリア軍優勢に見えましたが、11ターンからフランス軍の反撃が始まり、逆襲はなんとか成功。これも引き分けに終わりました。


なんか無性に懐かしいTACTICS付録
90°回転させたらどうですか?


 私も勉強しなくては。メモメモ。では、渕上君からの『Thunder at Lutzen』報告を。


 リュッツェンの戦いが行われたのは5月2日であるが、このゲームではその前日、つまり、両軍が展開を始めるところから始める。そのため、初期セットアップでは、連合軍側の騎兵が4ユニットいるのみで、後は全て増援での登場となる。この増援は、連合軍側は8カ所ある登場地域から自由に隠匿した状態で部隊を投入させることができ、フランス軍増援は、戦況(重要都市の占領、連合軍の投入軍団数)によって投入ターンが前倒しされる。勝利条件は

決定的勝利:自軍が正常な状態で敵軍を士気阻喪させる。

限定的勝利:ライプツィッヒへ通じる道を確保する。

 というもの。 士気は毎ターン判定があり、その時点で投入されている軍団の士気値分減少、予備状態にある軍団分増加、そのほかにもユニットが損害を被ることで減少する。


 今回、フランス軍の増援が早く登場すれば、それだけ連合側にかかる圧力が増すことを考えた結果、重要都市前面で戦線を構築することを目指し、重要都市へと最短で続く1級道路から連合軍最大戦力のブリュヒャー軍団を登場させた。また、まず西方から小規模なフランス軍第SJ軍他が登場し、その数ターン後に南西から主力が登場するという登場の仕方から、アレクサンドルが独立して指揮を執っているトルマゾフの軍団でフランス軍主力を重要都市南方に足止めし、その間に、小勢力のフランス軍左翼を、ブリュヒャー、ヴィンツィンゲローデの両軍団で電撃的に撃破、返す刀で本隊と決戦というシナリオを描いて、一気に右翼に2個軍を西上させる。 が、トルマゾフの軍団が、フランス軍主力の前面に展開することに失敗。やむなく後退し、右翼と合流、重要都市前面からリュッツェン東方当たりまで続く長い戦線ができあがる。結局、5月1日は連合軍は展開で終了、フランス軍はそれに迫るも、右翼が展開終わらずといったところで夜間ターンへ。
 夜間ターンは、ZOC進入不可ということで、戦闘は無く、連合軍は低下した軍士気の回復を図り、全軍を予備状態に転換した。フランス軍も順次予備状態へと移るが、左翼(連合軍右翼)の第SJ軍とモーブルグの騎兵軍団のみ、側面を突くように回り込んできた。実は、この方面の増援登場地域には、連合軍に押されることを想定し、丁度フランス軍の側面から登場する地点にヨルクの1個軍団を隠匿配置しており、右翼を回り込まれ始めるに至って投入。これにより、第SJ軍と騎兵軍団の側背を突くことに成功。
 夜間ターンが空けると同時に、第SJ軍に正面攻勢にでる。側背を突けたこともあって、4ターン後ぐらいまでに左翼をほぼ壊滅させることに成功。 しかし、ブリュヒャーの軍団は軒並みステップロスし、さらに残敵掃討に手間取る間にフランス軍は主力ネイの第L軍が展開を終え、トルマゾフの軍団に迫っていた。この後、第L軍とブリュヒャー正面に投入された親衛隊の猛攻により、トルマゾフの軍団は壊滅。ブリュヒャーもヴィンツィンゲローデも、さらには後から投入されたクライストとベルクの二個軍も押しとどめようとして大損害を被り、連合軍は士気阻喪。こうなると連合軍は、フランス軍を士気阻喪させた上で、橋を守りきるしかなくなった。幸い戦い続けたフランス軍も士気は低下しており、連合軍は残り少ない戦力で、数カ所の博打的な攻勢を敢行、これを何とか成功させ、士気阻喪させることに成功。そして連合軍は、敗残兵を1級道路周辺にばら撒いて邪魔しながら、脱兎の如く橋へ向かって撤退。結果、先に橋へたどり着き、あと3ターンほどで夜間ターンになることから、実質フランス軍が橋を占領できる見込みはなくなり、連合軍限定的勝利になるだろうというところで終了。



 こうして、辛うじてしょぼい勝ちを拾った我が連合軍ではあるが、もはや軍というのもおこがましい十数ユニットの敗残兵が残るのみという惨状で、挙げ句に部隊をばらまいてのゲリラ的遅滞戦術で辛うじて橋を確保するという状態は、情けない限りである。


 ここからは金井さんの同ゲームレポート


 2月の例会で積み残しになってしまった『Thunder at Luetzen(S&T#99)』をプレイしました。 
 セットアップ時に盤上に置かれるのは連合軍の一部の騎兵だけで、フランス軍は全て指定エリアから増援として登場、連合軍は登場エリアを秘匿して盤外ボックスに配置します。 
 序盤(5月1日午後)、フランス軍が西方から小出しに登場するのに対し、連合軍は東方から主力と思われるトルマーゾフとブリュッヒャーが登場。南北に長い戦線が出来たところで夜間ターンに突入しました。部隊が活動状態にあるとモラルが下がり(特に夜間は2倍低下)敗北に直結するので、フランス軍右翼と連合軍は次々と活動を停止します。唯一フランス軍左翼(北側)が延翼行動を行いましたが、これは連合軍の罠だったようで、マップ北端から現れたヨルクの軍団に背後を取られて朝を迎えました。     
 北から迫るヨルクと正面のブリュッヒャーにより仏軍左翼は包囲下に。あわてて右翼を活動状態にするためナポレオンが南に走り、仏軍右翼の第3軍団(ネイ)は正面の連合軍左翼(南方)に、後方にいた親衛隊が連合軍中央から北にかけて攻勢に出ますが、そのころには仏軍左翼(2個軍団)はほとんど壊滅していました。 
 しかし部隊数とモラルではもともと仏軍が勝るので、連合軍が北部で残敵掃討を行っている間に、中央・南部の仏軍攻勢が進行。今度は連合軍左翼が消耗し、北部での消耗との累積で連合軍士気が0に低下してしまいます。その時点でフランス軍のモラルは20点と少し。ターンは5月2日も午後に突入し、あと数ターンを持ちこたえてモラルを1以上残せばフランス軍の勝利でしたが、ここで連合軍が粘りを見せて親衛隊砲兵に対する騎兵突撃などでフランス軍モラルをもぎ取られてしまいました。
 両軍が士気阻喪すると争点は連合軍背後の盤端にあるライプチヒ橋ヘクスの確保となりましたが、連合軍騎兵が後方に走った時点で万事休す。連合軍の勝利となりました。 
 敵と戦うより自軍モラルの目減りが脅威となる辺りは好みの別れるところですが、会戦前の遭遇戦から開始すること、1ユニットずつの移動・戦闘、簡潔ながら3兵科の特徴表現など古いゲームながら捨てがたい魅力のあるゲームだと思います。


 うう、なんて熱意のあるレポートなんだ・・・あるゲームに対して実際のプレイに根ざしたレポートとは、なにものにも代えがたい価値があると信じて疑わないので、本当に、今回皆さんからいただいたレポートには感激しきりです。では、ここでガラっとテイストが変わって、入江さんと大森さんからの、VMBB(GMT)レポートを。


 先日の例会のプレイ報告をさせていただきます。 GMT社の「Von Manstein's Backhand Blow」を、私がドイツ軍、大森さん、久野さんがソ連軍を担当してプレイ致しました。 まずゲームの内容を紹介いたしますと、3Tシリーズの第四作目にあたるゲームです。既にご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、このシリーズのゲームの特徴的な二点について説明致します。

J. シークエンスが一般のゲームと異なり、C3I(シー・キューブド・アイと読むそうです)ポイントを消費して活動ポイントを生産し、それを消費することによって(その範囲内で)移動、戦闘の順に(逆もあり)活動を、両軍プレイヤー交替で二回ずつ行えるものとなっています。

K. また戦闘のルールでは、戦闘解決のダイスを振る前に、「チット」という当時の戦闘に影響を与えたであろう、イベント的(というのであろうか、例えば、「ウォッカ突撃」、「対戦車砲舞台の活躍」、「NKVDの督戦隊」とか・・・)なものが書いてあるものを、カップの中から引き、ダイスの目の修正や、戦闘結果の増加・減少、さらには装甲戦力の倍加・半減という具合に、戦闘比・戦闘結果の乱高下が発生します。鳴物入りの攻撃が、突然に「セカンドゴロ」に終わることがままあります。そして、戦闘結果はたいていステップロスを強要するため、非常にブラッディなものとなるでしょう。

 プレイは、何度か経験のある私が説明をしながら行いました。ちょっと私、迂闊な事にプレイ報告のためのノートの持参を忘れたため、記憶で書いてしまいますが、ソ連軍プレイヤーの御両人、間違いがありましたら、ご容赦を。


表面のテカテカは新しいフィルムか?


 ソ連軍側は久野さんが南西方面軍、大森さんがヴォロネジ方面軍を担当。両方面軍とも互いにユニットの配分争うことなく、ドネツ川に迫ってきた。これはドイツ軍が投了するまで終始変わることはなかった。このゲームの歩兵はなんとも足が遅く、移動力はなんと2!!(史実的に見れば、そしてマップの広さから考慮するとそうでもない、かな?) 突破を試みるソ連軍戦車部隊にとっては、側面を守るための歩兵を快速部隊に追いつかせたいところ。一方ドイツ軍も、将来の戦線イジューム付近の歩兵を南北へ逃したいところ。両方面軍の「司令官」たちは、強力な戦車軍団を前方に立て、イジューム東方の歩兵たちを蹂躙し、そしてハリコフを、或いはドニエプル川を望んでいるようだった。南無三、と思いながらも、ハリコフの防衛を誓った。
 だが、ドイツ軍プレイヤーたる私は、何度かこのゲームの経験をしていながらまったく何も学んでいなかった。役に立たない都市守備隊をカバーするため装甲師団の一部をハリコフ市内に篭城させるべき、という教訓を学んでいながら、チュグゥイエフ附近より回り込んだソ連軍にハリコフの支配を許してしまったのである。このゲームには、特定の都市より3へクス以内にソ連軍ユニットが接近すると、直ちにその都市内のパルチザン蜂起の判定が行われる。この蜂起が成功すると、ソ連軍の支配となってしまうのである。この時点で、ソ連軍はサドンデス勝利を宣言できるのだが、初めてプレイするゲームにおいて史実を再現したいと希望するソ連軍側の申し出によりプレイは続行されることとなった。これぞゲーマーの鏡というべきであろう。ドイツ軍側は戦線をハリコフ後方に下げながらも強気(というより、今思えば無茶か!!) に攻勢をしかけ、戦力をすり減らしていった。


 ところで、イジューム南方では、ソ連軍側の「目の上のタンコブ」というべき第19装甲師団のせいで、特に進展が見られなかったが、ハリコフ陥落で混乱状態に陥っていた私は、ドニエツ川南端の装甲師団をスイングさせることを決意。ハリコフの南方を脅かし奪回するのだ、と。
 続々と南方から、強力な装甲師団が駆けつけてきた。アウトレンジ態勢で、反撃の機会を伺う。そして反撃開始。ドイツ軍はイジューム附近より渡河したソ連軍部隊の中に浸透し,後攻である立場を最大限に利用しソ連軍の強力部隊を次々と包囲状態に・・・。次ターンの管理フェイズにソ連軍ユニットの補給切れ、損耗を狙った(このときは、気分はウハウハだったが・・・)。
 しかし、ここからがソ連軍、大森氏の真骨頂。「絶対に救出する」と強気の発言を以ってドイツ軍を逆包囲し、見事救出に成功したのである。これには、南西方面軍司令官の久野氏もびっくり。正に、勲章ものの功績であると確信できる戦いぶりである。戦いの後には、ぼろぼろになったドイツ装甲師団が包囲され、やがて消耗していった。
 この戦闘がドイツ軍プレイヤーである私の士気を打ち砕いたことは疑いない。なおも気力を振り絞ってソ連軍側にとっての悪夢のルール、キャスリングキングを宣言し(ドイツ軍の増援部隊がどっと発生し、ソ連軍をボコボコにできてしまう凶悪ルール。詳しくはゲームを買ってプレイしてみてね。) 、史実的にありえないビエルゴロド奪回を果たすも、消耗した装甲師団では、多量の活動ポイントも余りまくり、もはや焼け石に水。ハリコフの奪回の試みも、頑強なソ連軍の前に頓挫してしまった。

余はマンシュタインを超えられず……

 ドイツ軍側をプレイして、ソ連軍ユニットの頑強さを思い知らされた。サドンデス勝利の宣言の機会をソ連軍に与えないようにしつつ、遅滞戦術をもって、そして攻撃は消極的に行うべきであったと思う。キャスリングキングの宣言可能な第7ターンになるまで、「座・我慢」とあるべきであろう。また、久野さんが仰っていた、「ターントラックにあるサドンデス勝利の得点範囲は、ソ連軍の勝利得点獲得の欲望を拡張させるものでは」という話は、正鵠を得ていると感じた。

「そうか、ソ連軍側に攻撃させて損害を発生させれば・・・」

と、心新たに、城塞作戦の発動を待ち望んでおる今日この頃です。


 いろいろと言われている割には、あまり対戦レポートをみないゲームでしたので、なかなか興味深い示唆を受けまくりましたよ。では、同じゲームを大森さんの視点で。


 ども。大森です。 簡単にプレイレポートなどを。(一切メモの類を取っておりませんでしたので記憶違いがあると思いますので、参考程度にお願いします) 入江さんがドイツ軍、久野さんが南西方面軍、私がボロネジ方面軍を担当です。事前の協議により、「とりあえず、ハリコフを落とそう。」と方針が決まったわけですが、具体的には、ボロネジ方面軍がハリコフ正面に圧力をかける間に、南西方面軍が敵中央を突破し、ハリコフの側面、後背を突く。といった感じでプレイ開始となりました。
 ボロネジ方面軍はいきなり初動ミスで北端の完全に包囲できるはずだった1KGを敵後方に逃がすといった恥ずかしい始まりでした。ともかくも、南西方面軍のほぼ全装甲戦力(一個軍団のみ南部戦線保持にまわしていた)が中央と突破し、ボロネジ方面軍もチットに助けられ比較的早期(?)にハリコフ陥落に成功しました。ボロネジ方面軍はハリコフが落ちると、ドイツ軍が完全に戦線を後退させ距離をとってきたり、こちらの歩兵戦力が戦線に追いついてこれないこともあってやることがなくなってきていました。
 このあたりから、ドイツ軍が増援を南部戦線に振りはじめ、ハリコフ方面と南部戦線の切れ目から南西方面軍右翼を包囲せんと動きはじめました。これをみたボロネジ方面軍は、ハリコフ応援のお返しとばかりにボロネジ方面の全装甲戦力を南部戦線へ振り向けました。 これにより、戦線後背に回り込みつつあったドイツ軍を逆包囲に成功!と、おもいきやハリコフ方面のドイツ軍が、ボロネジ方面軍から抽出された戦力を追うように進撃し、なんと2個軍相当が完全に包囲下に置かれ悪夢の補給切れとなる。
 このまま包囲された戦力が摩耗させられてしまっては今後の戦線保持にも支障がでるのを恐れた両方面軍司令部は、予備で管理移動ボックスに待機させておいた装甲軍団をも投入し、全力で救出作戦を開始しました。 結果的には救出に成功し、一応の戦線の再構築に成功したものの、南部戦線転用前の50%程度まで戦力を減らされてしまった装甲戦力の再編が大きな負荷となっていました。
 この南部戦線での大戦車戦のごたごたでドイツ軍1KGが戦線後方に取り残され生き残っていました。「1ユニットでなにができる」と鷹をくくっていたボロネジ方面軍ですがこの1KGがハリコフ周辺まで北上し、そこで凶悪な増援ルール発動となったのです。
 そう、いきなり戦線後方に1個半師団相当のドイツ軍が沸いたのです。この対応で南部戦線から救出されたばかりの戦力が北上しどうにか戦線を構築したころハリコフへも攻撃がはじまり、これを2回ほど迎撃した時点で時間切れとなり終了しました。VPによりソ連の勝利となりました。
 全体的には、初期の戦闘でのチットに恵まれたこと、こちら側がルールを把握していないのをいいことに、執拗なルール説明要求や、こちらが二人なので次ターン準備を早々に片づけてドイツ軍司令部に余裕を与えなかったことが勝因でしょう。ともかく、ハリコフ解放と大救出戦成功と満足した一戦でした。


 いや、ツワモノどものハリコフ論はいささか衒学的というか、ペダンティックというか(いや、同じ意味ですけどね)、オーバーソフィスティケイティドというか、時々自分の無知と不見識に、懲罰大隊を志願したくもなったりするのですが、ゲームは楽しいのが一番でゴワス。
 さて、レポート最後は片山さんと新井さんのBarbarossa to Berlin対戦ですよ。群馬から転進間際、遠田さんと何度かやりましたが、いやあ、脳みそが沸騰するゲームですね。これ。


『Barbarossa to Berlin』

新井さん:枢軸軍
片山:連合軍

 新井さんとBtoBをほぼ1日かけてプレイした。枢軸軍は、Von Paulus Pauseで開始した。ゲームは42秋ターンに、モスクワがスターリンと共に降伏し枢軸軍のサドンデス勝利であった。Von Pauls Pauseカードの解釈は最新の物を使用したが、やはりこちらのカードの方が相当有利だと感じた。ドイツ軍に冬季影響が無いので、ソ連軍の反撃のタイミングが非常に難しいと思う。序盤にレンドリースをオペレーションとして使ってしまい、再度手札に来ないままトータルウォーカードが混ざってしまったのが大きかった(ダイスの目も結構悪かった)。モスクワを意地でも守るかが難しい選択である。連合軍は手馴れたプレイヤーでないと厳しいと思われる。


あんなに脳みそが熱くなったのは、和尚さんの壷の蜜をなめちゃったときと、このゲームをやったときだけです。


やっぱり、41年一発目のカードが問題となるようで、現時点でのトレンドはどうなっているのだろう?


 ということで、第17回無名戦士定例会の模様でした。さすがにライブ感はお伝えできませんが、今回編集してみると、むしろ私の実況解説こそが無用だったようで、非常に中身の濃いレポートとなっていました。感謝、感謝です。




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